COMPANY HISTORY株式会社UCPのあゆみ

株式会社UCPのあゆみ

株式会社UCPの起業

弊社の創業は、1989年(昭和64年)1月1日に世田谷で既に本部直営店で営業していたお店をCタイプ店※注として引継ぎ、個人経営で始めました。

このお店を選んだ理由は、オーナー希望の最終役員面接で当時のМ常務取締役に
「あなたみたいな若造がやる仕事じゃないんだよ。商売というのは」
という高圧的なお言葉とともに落とされ気落ちしていたところに、後日リクルート担当から電話があり、
「いいお店があります。ここならいいと常務も申しております」
と言われ、選択の余地なくここで始めることになりました。

引継いだ店舗とは・・・

9年間も本部直営店で営業していたお店ですが、日販30万円しかありませんでした。
当時のセブンイレブンの全国平均日販は確か58万円。平均日販より大きく下回ったお店です。

さすがに心配なので、契約の時に当時のKリクルート取締役にその事を確認すると、
「何を言ってるんですか。これが新店だったら売上0かもしれませんよ。少ないかもしれませんが、あなたが経営を始めてすぐに日販30万円が保証されているのと同じじゃないですか。安心して経営できますね」
当時は何も疑わない25歳の好青年だった私は(←ここ強調)
「そうですか。ありがとうございます」
と深々とお辞儀をしたことを覚えています。

さすがに9年間も日販30万円だとそれを打ち破るのは苦労の連続でした。
今でこそこの引継いだ直営店のオペレーションレベルの低さを心の底から笑えますが、当時は全てが初めての事で9年間日販30万円の恐ろしさを理解していませんでした。(地域から見放されたお店)

お店を始めて半年ほど経過したあたりで本部担当社員(OFC)から、
「オーナーさん、喜んで下さい。すぐ近くにお仲間が出来ます。良かったですね」
「おなかま・・・そうですか、ありがとうございます」(←散々大人達に騙される好青年)
そのお仲間は、新店で日販80万円。後で知りましたが、これが世にも恐ろしいドミナントというものでした。

スタッフ問題を解決!!

時はバブル絶頂時代。アルバイトスタッフが全然集まりませんでした。

直営時代の深夜アルバイトはそのほとんどが不正をしていて、それが発覚した途端に集団バックレ。残ったのは昼間の3名だけで、バックルームでの寝泊まり、40時間連続勤務とか毎週当たり前のようにやっておりました。

当時の深夜時給は800円が主流でしたが、このままではさすがに身体がもたないので、募集時給を1000円にしてリクルート紙で募集したところ40名の応募があり、何十時間もの連続勤務は経営開始から半年ほどで落ち着きました。
この時採用した大学1年生は皆4年間卒業まで働いてくれて、今でも年賀状でのやりとりがあります。

前職がマクドナルドですから、採用出来ればあとは得意分野。教育や接し方等マクドナルドで学んできたことをフルに活用し定着していきました。
アルバイトが定着してくると比例して売上も少しずつ上昇していきましたが損益計算書(PL)はまだ暫くは赤字でした。

利益が出ないと商品在庫金額として本部に積立ている自己資本が規定の150万円を下回ってしまう事が度々あり、その都度当時の担当本部社員(OFC)が半笑いの顔で「黒ヤギさんから、お~て~が~みついたぁ♪」と歌いながらセブンイレブンの社長からのお手紙(至急150万円以上になるように自分のお金を本部に振り込んで下さいという内容)を持ってきていました。

超のつくろくでもない直営店を本部から半強制的に渡され当時は詐欺にあった気分でしたが、周りの反対を押し切っての独立だったので辞めるわけにもいかず、ひたすら休みなし日々16時間労働を続けていました。

お客様のリピート率を上げる為に奮闘!!

ポスティングするチラシに工夫したり、来店されるお客様への声掛け!

売上を上げないことには生活が出来ないので、雑誌用の紙袋にチラシやカタログを入れ仕事帰りに各家のポストに入れて行きました。(捨てられないように、表札を見てその場で袋にマジックで〇〇様と書いて)
また、町会の会長様のところにご挨拶に行き、町会に入れて貰ったことが大きかったです。26歳と若かったので町会長様には可愛がって貰いました。(クリスマスケーキなんか5、6個予約を知合いから取ってきてくれたり)

住宅立地なので、お客様の顔と名前を一致させることがリピートに繋がると考え、宅急便の差出人の名前から覚えたり、当時受付の多かったDPEの申込用紙で覚えたり、予約活動も盛んに行ったりしていました。おかげで300人位はお客様の顔と名前が一致しましたので、店内でお客様に「いらっしゃいませ。〇〇様」とお名前で お呼びしたりしていました。

本部のお偉いさんの言葉を信用するべきか・・・

本部への不信感が変化!

とある夏の日、本部のDM(ディストリクトマネージャー)という地区では一番お偉い方が(Eディストリクトマネージャー)やってきて、
「オーナーさん、このオープンケースの棚の上から下まで全部調理麺にしてみませんか?一日で100個売れると思いますよ」
この頃は、それまでの本部の対応に不信感しかなかったので、また騙す気か・・くらいにしか思っていませんでした。なにしろ日販40万円。調理麺の販売総数は一日で多くて20個程度。100個って・・(なにをふざけたことを・・・)

しかし、本当に一日で100個売れたら楽しいだろうなぁとか、売り上げも上がるだろうな、とか不覚にも思ってしまい、その週の一番気温が高い日になんと本当に100個販売を目指して110個の発注を入れてしまいました。

言われた通り棚の上から下まで全て調理麺。お客様もビックリしていましたが、その都度お勧めをしてまさかの一日で100個以上の販売。
その日は日販が50万円まで上がりました。

「お店の主役は商品」売り場は「仕掛けと演出」で躍進へ!

上記の事で、私の本部に対する考え方や発注の仕方が180度変わりました!

当時はまだ日販40万円台でしたので、廃棄が出ない発注が素晴らしいという意識でいましたが、これを機会にダイナミックな発注を心掛け一番リスクが少ない新商品から取り組み、発売初週に狙いを定めてそれまで新規で5~6個しか発注していなかったデイリー品(弁当など)を初日20個とかで攻め始めました。発注した以上は廃棄を出さずに売り切りたいのですが、なかなか思うように売れずどうしたら良いか考えていた時に、まだ当時どこのお店もあまり取り組んでいなかったPOP作りに着手。ウインドウズ95が出たばかりでしたが、カラーワープロを購入し商品案内の写真をスキャナーで取り込んで毎週お薦め商品のPOPを店内に掲示しました。翌年その当時のYオペレーション本部長が来店し、どうやって作成しているのか、インク代などの原価はいくらなのか?と色々訊いていかれました(それから暫くして、本部社員が支給されているノートパソコンでPOPを作成してくれるようになりました)

オペレーションレベルの向上とともに当時のK社長がアポなしで来店されたり、サウスランド社(現セブンイレブン・アメリカ)の役員数名が私のお店に来られたりと、色々と注目を浴びるようになりました。

Eディストリクトマネージャーのおかげで、それまで役員連中に騙され不信感しかなかった私の考え方(特に発注の考え方)が大きく変化し、売上が上昇し始めました。
調理麺もそうですが、9月の末(一日だけ寒い日があり)には鍋焼きうどんを20個仕入れ即日完売。当時、東京は11月頃から鍋焼きうどんの発注に取り組んでいましたので、このデータは会議でも取り上げられました。

当時、発売されたばかりの「ポケモンカード」を棚一段使ってフックで販売したところ、週販200個。まだほとんど認知されていなかった「ポケモンカード」ですが、発売初週で欠品していることに気づき、ダイナミック陳列。担当OFCが慌てて写真撮って会議で発表したところ、全店が発注するようになり、翌週から発注上限がかかってしまいました。あれから26年経過した現在では周知の通り大人気商品になっています。

平成10年には、関西の一部地域で売れだしていた「恵方巻」(当時は丸かぶり寿司という名前)を東京でも販売することになりましたが、本部もまだ売れるかどうか疑心暗鬼で「まあ節分の日に10個程度品揃えすればいいと思います。東京では誰も知らないですし」と言われました。
私自身は、「恵方」については信じておりましたので(その日に太巻きを黙って食べるという慣わしは知りませんでしたが)、即行で予約活動開始。東京発売初年度で100個以上の販売。
まだ東京ではどこのお店も取り組んでいませんでしたので、本部も「なぜそんなに売れる?」くらいの軽い気持ちでヒヤリングをしてきましたが、恵方の力を信じている事やこの太巻き1本で十分食事の代用になるし、食べることで得する商品であることを説明し、間違いなくこれは今後節分の柱となる商材という事を力説した覚えがあります。

翌年からは各店もの凄い数の発注数が入るようになりました。24年後の現在、「恵方巻」はセブンだけでなく、コンビニ各社やスーパーでも大々的に売れる商材へと成長しました。

次のステップへ

立地移転のお話

無し無しのお店でしたが(酒の販売無し、タバコの販売無し)10年間で売上がようやく倍の60万円台まで上昇した時に、ある事がきっかけで立地移転のお話が本部からあり、この時は4店舗(既存店や新店候補地)ほど紹介されその中から現在の本店である「墨田太平3丁目店」を選びました。
このお店は既存店でオーナーが辞めるということで私が引継いだわけですが、当時の日販は(タバコ有、酒無し)で70万円台。
正直嬉しかったです。移転するだけで今より10万円の売上がプラスされるわけですから。

引継ぎの時は2週間ほど閉店して本部負担で店内改装もして頂きました。
最初の世田谷の直営店は古いお店のまま深夜0時に引継いだだけでした。しかも、その日に私の一人深夜勤務。(この待遇の違いは何?)

改装オープン初日、私にとって初の日販100万円超え。そしてその後も100万円を下回ることはありませんでした。(近くにセブンが出来るまで)

個人経営から13年目に法人化へ

合資会社ユニバーサルコンビニエンスプロジェクト
(社名が長すぎて銀行等で呼ばれるのが恥ずかしくなり、のちに社名変更)

酒免許も自由に取れるようになり、日販も最高で120万円超えと最初に始めたお店の倍以上の売上が取れるようになっていましたが、かなりの人数の固定客を有していたタクシー会社の目の前に本部直営店が出来、それがボディブローのようにきいてきました。またすぐ近くに別のチェーン店とかが出来たりと売上下降要因しかありませんでしたが、なんとか100万前後の売上を保っていたところにCタイプ店が2号店でCタイプ店を持つことが出来るという情報を得て(それまではCタイプ店の2号店はAタイプ店という決まりがあり)さっそくその第一号に手を上げ、本部が要求する条件をクリアーして同じ錦糸町にCタイプの2号店を日本第一号(CのC)としてオープンさせました。(現在では約3割のオーナーがCのCで経営しています)

当然本部からは、
「今後本部としてもCの2号店が主流となりますから、後が続くように必ず成功させて下さい」

この頃には私もベテランオーナーの仲間入り。 気が付くと45歳になっていました。(数年前に1回目の契約更新済)
さすがに、どのような立地が売れて、お店のオペレーションをどのようにして・・・とかある程度は判るようになっていました。人の管理教育が得意分野ですし、Cタイプ店はリスクが殆どありませんから、2号店経営に対しての不安はありませんでした。

2号店、3号店のオープン

本部も注目していましたので、おそらく私の2号店のPLやBSは注視していたと思います。数か月で日販80万台になりましたが、利益は1号店の3分の1程度。
当時のF取締役副社長兼営業本部長兼オペレーション本部長(←長い)がついに動き出し、2号店のロイヤルティ(チャージ)を減額するよう上に提案、実行されてそこから2号店経営のオーナーが増えだしました。

それから3年、2号店も100万円以上の売上が取れるようになり、世田谷時代の10年近い貧困生活を懐かしんでいた時、3号店の話が舞い降りてきました。
なんとこの3号店は他地区。隣接する区でもなんでもない、しかも大都会の港区。前例もないし、なぜ私にこの話を?(もしかしてスカ?)とか訝しんでいましたが、1号店2号店とも絶好調に経営し、人も安定しているのを本部は評価していたらしく、3号店としてあのエイベックスビルのお店をやって欲しいと言われました。
即決しました。後に、他のオーナーから
「1~2週間位考えたり現地行ったりしないんですか? それじゃあまるで通販で買い物してるのと同じですよ、お店選びが」
本部社員が数名で来て私に頭を下げて「是非やって欲しい」と頼まれているのに即決しないのは失礼だと思いましたし、1、2号店が好調でしたから3号店が上手くいかなくても・・・という考えもありました。また、セブンイレブンを始めた時に、あれだけ酷い扱いを当時の役員連中にされた私が、本部から
「お願いします、是非このお店をやって下さい。オーナーさんの力を貸して下さい」
と頭を下げて言われるまでになったことに感動もしていました。

そして2月末に開店(珍しくこの日は雪が降りました) しかし、この3号店は爆発的に売れました。もう凄まじいほどのピークタイムで、お昼12時から16時までレジ4台が途切れることのない長蛇の列。(日販の頭の数字が1ではない時がありました)

お店には毎日のように有名人や芸能人が大勢来店されたり、フアンの方が来店されたりでこちらも大成功でしたが、ビル老朽化と震災によるダメージで建替えが決定、オープンから3年で閉店することになりました。

移転先は六本木5丁目店。こちらも既存の本部直営店でしたが、もう内容がお粗末。たいした日販でもないのに深夜に4人従業員をシフトしたり、昼間も4人とか5人とか・・それでいてお店のオペレーションはグチャグチャ、というお店でした。
立地が六本木の危険地帯の真ん中という過激なところで、エイベックスから異動した従業員が次々と退職するという事態に。(もちろん、直営店の従業員はみんな退職しています)

問題は夜の時間帯にありました。20時を過ぎたあたりから来店されるお客様の雰囲気がガラッと変わり、急に危険な状態に。深夜には外国人同士の喧嘩や(店内で)、会計前に商品飲食、小型平台車を使ってスケボー大会、朝お店に行くとあちらこちらの壁に穴があいていたり(お客様がパンチで壁を破壊)。この状況に店長も少しノイローゼ気味になっていました。早急に手を打たなくてはと考え、英語が話せる外国人採用を行いました。深夜来店されるお客様の8割が外国人だったので、日本語なんか話せなくてもいいから外国人を採用するようにと店長に指示を出し、採用した外国人に英語できちんと注意と説明をするようにお願いしました。

それまで日本人4人が怯えて深夜の時間帯に働いていましたが、外国人2人が英語で全てを対応してくれたおかげで、不良外国人達がいつのまにかいい人達に変わり、無法地帯だった深夜の時間帯がとても雰囲気の良いお店に生まれ変わりました。次に、英語でフライヤー商品を勧めるようお願いすると皆購入してくれたり、nanacoカード入会を勧めると喜んで作ってくれたりと、次第にこのお店も売上上昇の波に突入し、直営時代80万円だった日販はついに120万円をたたき出すというところまで行きました。

この成功を高く評価して頂き4号店、5号店と同じ年に立て続けにオープンしました。

1号店の2回目契約更新(30年目)を迎え、その年に過去最高益を達成。
勢いに乗っていましたが、2020年3月新型コロナウイルス感染症で、これまで経験したことのない売上の落ち幅を経験。特に都心3店は前年比60%まで売上ダウン。
1989年から2019年までの30年間一度も売上を落とすことなく、毎年増収を繰り返し14億円まで行った売上が、コロナによる外出自粛で3億円の減収。2020年は人生最大の危機を感じた年でした。

2021年もまだコロナの影響がありますが、それでも現在は2019年の8割近くまで売上が回復し、今期売上予想は12億円。

まだまだ完全な回復には時間がかかりそうですが、2022年コロナ騒動収束を願い、さらなる挑戦をしていきたいと思います。

最後に

Cタイプ店はリスクがないと書きましたが、その代わり「人」に対するマネジメントが出来ないと成功することはありません。どれだけ人を信頼して仕事を任せるか。それが出来ないと、いつまでたっても1店舗で終わってしまいます。

2019年に地区のオーナー様方に従業員採用と教育マネジメントのお話をさせて頂きましたが、「信頼できる人が応募に来ないとか、仕事を教えてもすぐ辞めてしまう」とかいうのは、それは自分の考えや行動が間違っているからです。そこから改めないで、人のせいにする。結局それが一番ラクな考えなのですが、それではいつまで経ってもCタイプでの成功はありません(Cタイプでの成功は複数店経営だと考えます)

母店がCタイプでCタイプの2号店を出した時、周りや知り合いのオーナーから
「1店でも厳しいロイヤルティなのに、2店もやるなんて何を考えているんだ?」
と言われました。確かに厳しいロイヤルティですが、2店持つことで得られるモノ(例えばそれが収入であったり、従業員であったり)があります。

事実、3号店を出店して1年後位から(創業から20年目)私がレジ接客や品出し等の仕事をすることはなくなりましたし、2号店開店前から家族や親族、血縁者の誰も使っておりません。30年前に毎日毎日20時間近くレジ接客していた時に、今の自分は想像出来ませんでしたし、法人化して社員を雇うなんてことも考えられませんでした。

コンビニ経営は難しいし儲からないとか言われていますが、やり方次第、本人の気持ち次第です。特にセブンイレブンのCタイプ経営は、イニシャルコストもほとんどかかりませんし、借金を負うことも皆無です。そのため、Cタイプの複数店持つためには本部が決める審査基準を(オペレーションレベル)クリアーしないと複数店経営は出来ないようになっています。当初は2号店までと言われていましたが、現在は4号店までCタイプで持つことが可能になりました(特例で5店舗オーナーが私を含めて数名います)

売上が上がらず苦労したこともありましたが、一つひとつ手を打って対応する事で売上が少しずつ上昇し、スタッフを教育し信頼する事で休みも取れるようになります。

今は、「やってて良かった、セブンイレブン」と毎日思っております。

  • 注) Aタイプ店とCタイプ店の違い。
    契約の違いであり、
    Aタイプとは、自分でその場所で酒屋とか商売をされていて、セブンイレブンに看板替えをするオーナーや、場所を見つけて自分で保証金や家賃を払う契約をするオーナーの事。
    Cタイプとは、場所は本部が決め、保証金や家賃も本部が支払うのでリスクが殆どなく安心して経営出来るが、その分本部に毎月支払うロイヤルティ(セブンイレブンチャージ)がAタイプより高い。
  • これまでに何度もCタイプのロイヤルティ(セブンイレブンチャージ)が変更になり(減額され)、オーナーの利益が出やすくなっている。
  • 30年前はCタイプ店よりAタイプ店の店舗数が圧倒的に多かったが、現在ではCタイプ店が8割以上。Aタイプ店からCタイプ店へ契約変更するオーナーも数多く、また本部社員が独立してCタイプ店を開業する人も多数いる。

代表プロフィール

【プロフィール】
株式会社UCP
代表取締役 長南 秀徳
1962年北海道帯広市出身
大学卒業後、日本マクドナルド株式会社に入社し東京勤務。
学生時代のアルバイトを含めるとマック歴7年。
26歳でセブンイレブンのオーナーに。
2022年現在オーナー歴33年目。